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「将来有望な男ランキング」1位の座を15年連続で守り続けてきた魔術界のサラブレッドにして時計塔の一級講師ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、2018年の冬、講師3年目の転属新人魔術講師ディルムッド・オディナにその座を奪われ、連覇の道を絶たれてしまう。
8歳の身より守り続けてきたトップの座から陥落するということは、いかに低俗で普段から軽視していた凡人共の行うお遊び半分のランキングであったとしても無視できるものではなく、ケイネスの高すぎるプライドを大きく傷つける結果となった。

しかしこの結果をより一層最悪なものとしてケイネスの記憶に刻み付けてしまう出来事が起こる。なんと初恋の相手にして学部長の娘であるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが学部長と楽し気にランキングのことを話しているのを耳にしてしまったのだ!

「で、ソラウ…君はもちろんケイネスに投票したのだろうね?」
「まさか!私はディルムッドに投票したわ。だって彼はケイネスより遥かに輝いているんですもの」
「そうか…まぁ、お前が誰に投票しようが構わないが、その事を彼には言うんじゃないぞ。仮にもお前の最も有力な婚約者候補なのだからな」
「あら、彼はこんな低俗なもの気にしないわよ。彼はいつだって馬鹿にして鼻で笑っているんだから」

(あぁそうだ、ソラウ。君のいう通りだ。いままで私は「こんな低俗なもの」と馬鹿にしていた。君がディルムッドに投票したと知るまでは!そしてこの私が君の婚約者候補なのだと知るまでは!!)

今まで私は、名門生まれ故、己の地位や実績に関して自身の才に付随する「当然の事実」であると考え、そこには驕りも、高慢さもなかった。だか事ここに至ったからにはその考え…改めさせてもらうより他ないようだ。

「許さんぞ…ディルムッド・オディナ…とかいうやつ!!!」


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


あのランキングから一週間。ケイネスの憎しみを一心に受けるディルムッド・オディナだったが、幸か不幸か、二人が時計塔内で遭遇することは一度もなかった。
なぜならディルムッド・オディナは「将来有望な男ランキング」だけでなく「優秀な講師ランキング」「人気講師ランキング」「抱かれたい男ランキング」でも一位を獲得し、公私ともに忙しい日々を送り、北欧から栄転してきた若き美貌の講師を歓待する場すら設けられていなかったのだ。加えてケイネスが鉱石科であるのに対し、ディルムッドは降霊科に属していたため、ケイネスがディルムッドと相対するためには降霊科の講師の飲み会にでも誘われない限り不可能であった。

そんな状況に人知れず歯噛みし、兼任する降霊科において若手講師に声をかけようか掛けまいかと考えあぐねていたとき、運命の女神は彼に微笑んだ。
もっとも、今となってはその「微笑み」がどのような類のものであったのかは甚だ疑問であるのだが、この時点で何も知らないケイネスは心から降霊科の学部長に心の中で感謝した。

要約するとこうだ。
久々に我が学部から将来有望な若手講師が現れた。どうだろう、ここは一つ、降霊科講師をも兼任し、将来有望な男二位と一位で特別講義を開き、広く世界中の魔術師たちに聴講させてやっては。
オディナ君は確かに将来有望ではあるが、現段階では新米講師に過ぎない。是非とも彼の指導を頼みたい!
君たちは降霊科のツートップだ!

青筋を額に浮かべながらケイネス・エルメロイ・アーチボルトは満面の笑みで承諾の意を伝えた。

「是非とも引き受けさせていただきます。私も前々から彼のことは気になっていましたから。えぇ、もちろん、彼が降霊科の将来を担える人間になるよう、この私自らが懇切丁寧に指導しますとも。どうかご安心を。これで彼の将来は決まったも同然です!」

ブッ潰してやる!!!
待っていろ、ディルムッド・オディナァアアアア!


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


ディルムッドへの憎悪が募る程、ケイネスの笑みは深くなっていく。

「ケイネス!あなたディルムッドと二人で特別講義を開くんですって!?ぜひ私も聴講したいわっ」
「ソラウ…それ程までに私の講義に興味を持ってくれるとは…!!」
「あなたと一緒ならディルムッドも安心ね!くれぐれも彼に恥をかかせないで頂戴、お願いよケイネス」
「あぁ…まかせてくれ…」

そして漸く忙しい二人の日程調整が済み、降霊科特別講義の開催日が決定した翌日、ここで初めて二人は顔を合わせるに至った。場所は降霊科の会議室。その後、学部長の私的な談話室へ移り酒などが供されることになる。

「お久しぶりです、ケイネス殿!!」

新米講師であるにも関わらず、既に場に馴染んでいるディルムッド・オディナが眩しい笑みで握手を求め、挨拶してくる。

「はて…私の記憶が確かなら、君とは初対面のはずなのだがねぇ、ディルムッド・オディナ君」

人差し指で額をトントンと叩きながらケイネスはいつもの要領で挨拶らしからぬ挨拶を返した。
魔術階梯が下の者とケイネスが握手を交わすことなどない。言葉を返しただけマシな方だ。
こうして内心いい感情を抱いていないディルムッドとの共演講義の挨拶は終わった。後は話題の特別講義に一枚噛みたい「協力者」という名のハイエナどもを交え、講義の内容を協議し、大まかな流れまでを決めて場所を移したのだったが、その移動後の記憶がケイネスには欠落していた。

朝、痛む頭と共に目を覚ますと、そこは見知らぬ安ベッドのうえで、なぜか隣に全裸のディルムッド・オディナが横たわり、例のキラキラした笑みでこちらを見ていた。

「おはようございます、ケイネス殿っ」

こうして現実を直視できないケイネス・エルメロイ・アーチボルトの「現実」が動き出したのであった。

「何が起きた…。私は、いったい…っ」

うわぁああああーーーーー!!!!

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どんなに素晴らしい存在にも終わりの時はやってくる。時間はすべてのものの上に平等に流れるし、それから逃れる術はない。特に僕たちのような小さな生き物にとっては…


ヤコフさん家にいる、青い瞳の白猫と黒猫。そしてトラ柄の仔猫のお話し。


・:*三☆・:*三☆・:*三☆

僕の名前は勇利。
いま僕は最愛のひとを見送ったところだ。


どんなに素晴らしい存在にも終わりの時はやってくる。時間はすべてのものの上に平等に流れるし、それから逃れる術はない。特に僕たちのような小さな生き物にとって20年を生きるということは大変な大往生だった。




僕とヴィクトルの出会いには、ユリオのような感動秘話など一切ない。なぜなら陽気で愛想のいいヴィクトルは、なんの特徴もない雑種で黒猫の僕を一目で気に入り、快く受け入れ甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたからだ。
ヴィクトルは白く美しい毛を持つ血統書付きの猫で、飼い主であるヤコフさん自慢の猫だっだ。氷のような冷たさを思わせるアイスブルーの瞳が印象的なくせに、外見を裏切るお茶目で悪戯好きなところが彼の最大の魅力といえるだろう。一方の僕はといえば、平々凡々で、とりたてて特徴のない外見と性格をしていた。
いまだになぜヴィクトルが僕なんかを気に入ってくれたのかは謎だ。ヴィクトルは終生僕のそばを離れず、窓越しにやってくるメス猫の誘いにも乗らず、ヤコフさんが連れてくるお見合い相手にも目もくれず、僕だけを愛してくれた。

『勇利、俺はお前の黒々とした夜の帳を思わせる純黒の被毛。それに星の瞬きを思わせる金色の瞳が大好きだ』

今でも思い出せる。真冬の湖面を思わせる青く透明な瞳を潤ませて、彼の舌が優しく愛情深く、うっとりと僕の被毛を毛繕ってくれたあの感触を…。

彼は僕を愛し、僕もまた彼を愛した。満たされた日々だった。例え彼が僕たちの中で一番年上で、一番最初に天に召される定めだとしても、僕たちは幸せだった。

変化は徐々にやってきた。
あんなに元気で陽気で愛想のよかったヴィクトルの睡眠時間がどんどん増えていったのだ。そのうちずっと眠っているようになり、大好きだった食事の量も減っていった。やがて陽の光を受けるとキラキラ銀色に輝く純白の被毛に鈍色の毛が混じるようになる頃、僕はヴィクトルとの永遠の別れの時が近づいているのだと悟った。

ヴィクトルは「最近眠ってばかりで動いてないから、お腹が減らないんだよ」といっていたけれど、僕は胸が張り裂けそうだった。そしていつも以上に僕はヴィクトルに寄り添うようになった。そんな僕をみてなにを思ったのか、遊びたい盛りのユリオも、大好きなおもちゃを放って僕たちに寄り添うようになった。

ソファの上に寄り添って眠る僕たちは、まるで本当の親子のようだった。ロシアの美しくない春、短い夏と暗い冬。そして黄金の秋を僕たちは何度も共に過ごした。
今でも耳に蘇るヴィクトルとユリオの会話。

『小さなユーリ大好きだよ。おいで、毛繕いしてあげる』
『うるせぇ!ガキ扱いすんな!』


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


初めは猫を飼うつもりなどなかった。
しかし「運命」というものがあるのなら、まさにヴィーチャとワシの出会いこそ運命そのものだろう。

妻と離婚し仕事に忙殺される日々の中、それでも真っ直ぐ前を見て進んでこれたのはヴィーチャがいたからだ。

ヴィーチャに出会わなければ一人暮らしの寂しさから酒に溺れていただろう。
ヴィーチャを知らなければ猫を愛おしく思うこともなく、勇利を引き取ることもしなかっただろう。もちろん、職場の玄関先に捨て置かれたユーリを引き取ることだってなかったはずだ。
子供のいないワシにとって、この子達こそ「家族」だった。

しかし別れの時はやってくる。
我が家にやってきたときには生後3ヶ月の仔猫だったヴィーチャも、いまは20歳を数え、病気こそないが日に日に眠る時間が増えてゆく。別れの時が近いことを知っているのか、勇利とユーリは近頃ではヴィーチャのそばを離れようとしなかった。

(覚悟しなければならんか…)

人知れず枕を涙で濡らす日々が始まった。


そしてその日はやってきた。
ある朝、いつもならヴィクトルのそばから離れない勇利がひとりで朝ごはんを食べに来たのだ。
「どうした?」と尋ねれば、行儀よく前足を揃えて座り、真っ直ぐワシの目を見て一言「にゃぁ…」と鳴いてよこした。それだけで十分だった。
ワシはその場に崩れ落ち、おいおいと年甲斐もなく声を上げて泣いた。

ヴィーチャと過ごした20年間。それは早くからフィギュアの代表として家を出た自分にとって、両親や兄弟と過ごした時間よりも長かった。もちろん大恋愛の末、結婚した最愛の妻と過ごした時間などよりも遥かに長かった。
スケートを除けば、ヴィーチャ以上にワシと共に過ごしたものなど、この世のどこにもいなかった。

仔猫の頃のヴィーチャは本当に悪戯好きで何度驚かされたか分かったものではない。叱っても我関せずといった風で毛繕いに勤しむ姿は仔猫ながらに優美で、叱るのがバカらしくなるほどだった。そのくせ甘えん坊で、夜になると日中のことなどコロッと忘れたようにワシのベットに潜り込んでくるのだから可愛くて堪らない!
気紛れで陽気で甘えん坊なヴィーチャのために注ぎ込んだ金は計り知れない。食事に始まりおやつに玩具。果ては自宅のリフォームまで。とにかくヴィーチャ中心の生活だった。
仕事で家を開けることが多いため、その後ろめたさもあったのかもしれない。実際、勇利を引き取ったのも、家でひとり留守番をしているヴィーチャを気遣ってのことだったのだから…。

仔猫を過ぎ青年期になるとさすがのヴィーチャも窓辺で大人しく佇む姿などを見せるようになってきた。その美しい佇まいに見惚れていると、いつのまにか窓の外には猫がいた…なんてことも一度や二度ではない。ヴィーチャの美しさは人のみならず猫をも惹きつけるものらしい、と誇らしく思ったものだ。
もっとも窓の外にいる猫たちの中にオス猫まで混じっていたことは衝撃以外の何者でもなかったが!

とはいえワシに甘やかされて育ったヴィーチャは外の世界を知らない。このままだと本当に窓越しの猫としか遊べないとこになってしまう。親心としては複雑なところだ。ヴィーチャをこのまま独占したい気持ちと、ヴィーチャ自身ですら気付いていない淋しさを埋めてやりたい気持ち。その狭間で揺れ動く心を抱え1ヶ月もの間ワシは悩み続けた。
しかし転機は思わぬところからやってきた。なんとロシアにフィギュアの指導を仰ぎにきていた日本人スケーターが引退して日本に帰国するにあたり猫の引取先を探しているというのだ。しかもワシの猫好きをききつけ直接声をかけてきた。

(これはもう定めと思うより他あるまい…!)

こうしてワシはなんの変哲もない黒猫をヴィーチャの友人として迎えることになったのだが、ヴィーチャはその黒猫をいたく気に入り二匹はすぐに仲良くなってしまった。ワシが嫉妬するほどに…。
とはいえヴィーチャはやはり変わらずヴィーチャのままだった。
ワシの元気がないときは勇利を置いて真っ先にヴィーチャがやってきた。それはさながら『どうしたのヤコフ?元気出して』といっているかのような仕草で慰めてくれるのだ!

(どうだ見たか?ヴィーチャはワシのことが大好きなんだぞ)

自分が飼っている黒猫相手に嫉妬もなにもないが、あの頃、勇利とワシの間には確かにライバル関係のようなものが存在していた。
しかし仲睦まじい二匹の姿を見るうちに、その気持ちもなくなり、やがて時の流れに逆らうことなくヴィーチャは老齢期に突入した。
とはいえ心配するような大きな変化もなく、二歳年の離れた勇利とともに隙をみては脱走したり、こちらが忘れた頃に悪戯を仕掛けてきたりと優雅なものだった。

だが勇利も老齢期に差し掛かる頃には二匹ともすっかり大人しくなり、家の中には穏やかな時間が流れるようになった。ワシがユーリを拾ってくるまでは…!

その猫は職場であるリンクの玄関先に捨てられていた。いや正確には座り込んでいた。
生後二ヶ月ほどだろうか…まだ小さいながらもヤンチャで物怖じしない様子はかつてのヴィーチャを思い出させた。しかしそれだけならワシも今更仔猫など拾ってきたりはしない。なんとその仔猫はワシの服のにおいをしきりに嗅ぎまくり物言いたげにズボンに爪を立て「ニャー、ニャー」鳴いたのだ。

これは運命としかいいようがない。

ワシは迷わず仔猫を拾い、その日の夜にはヴィーチャと勇利に引き合わせた。…のだが、なんともこの仔猫は一筋縄ではいかない手のかかる仔猫で、ワシもヴィーチャも、そして勇利すら振り回し、忘れていた楽しい時間を提供してくれたのだった。

「こらぁあああ!!!またお前かユーリ!ワシの古小谷の角皿を割りおって…今度という今度はゆるさぁああーーーーんッ」

生意気で鼻っ柱が強くて喧嘩っ早い。ユーリは実に困った猫だったが、ヴィーチャはトラ柄の仔猫を実の子のように甲斐甲斐しく面倒をみていた。家に来て二ヶ月後には、どこからどうみても毛並みのいい上品な猫になっていたのには驚いたが、脱走癖と喧嘩癖だけはいつまで経っても治らなかった。
とはいえヴィーチャや勇利には喧嘩をふっかけていないあたり、家族を大切にするタイプなのかもしれない。
新しい家族を迎え、ヴィーチャは活き活きしていた。三匹一緒に眠る姿は本当の親子のようですらあった。

しかしそれでもヴィーチャはやはりヴィーチャだった。

真夜中、ヴィーチャは勇利やユーリの目を盗み、こっそりワシの布団に潜り込んでくることがあったのだ。いくつになっても甘えん坊なヴィーチャは、やはりワシにとって最も愛すべき存在だった。

そんなヴィーチャがワシのもとから去って行った。
黄金の秋。
ヴィーチャはロシアで最も美しい季節に静かに息を引き取った。

「おやすみヴィーチャ。よいゆめを…」


ロシアの美しくない春も、短すぎる夏も、陰気な暗い冬も。いつだってワシのそばにはヴィーチャがいた。そして黄金に輝く秋にも。

だがしばらくの間、ワシの中で秋が輝くことはないだろう。


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


夜明けのサフランのような…
早春の勿忘草のような…
あるいは雨上がりの紫陽花のような…

最期の夜、月明かりに照らされたヴィクトルの瞳はまるく大きく、どこまでも澄んだ瞳だった。

『ありがとう勇利。ヤコフにも伝えて…いままでたくさんありがとうって。ユリオにも伝えて、大好きだよって』
『うん…』


銀の燭台
秋の夜長のホットワインの香り
出窓を彩るセントポーリア
脱走して見つけた満開のアザレアガーデン
悪戯して割った古九谷の角皿
雨にむせぶ赤土のにおい
鉢植えのゼラニウム
ふたりで見た寒空の三日月
ヤコフの帰りを待ちながら聞いたガラス窓を打つ北風の音
ユリオが好きな出来立てのピロシキの香り
パトロール中の夕立の雨宿り

ヴィクトルが小さな声で語る思い出話に重なるように、どこからかアリアが聞こえてくる。それはもしかしたら僕のすすり泣く声だったのかもしれないし、どこかから風に乗って聞こえてきた音楽なのかもしれない。そのアリアに見送られるように、少しずつ少しずつヴィクトルの鼓動は小さくなっていった。

『おやすみヴィクトル。大好きだよ。ずっとずっと大好きだよ』

最期の瞬間。黄金の秋を象徴するかのように窓から差し込む眩しい朝日に照らされて、ヴィクトルは神々しく銀色に輝いていた。そんなヴィクトルを瞳に焼き付け、僕はユリオを起こさないようにヴィクトルから離れた。僕にはヴィクトルに託された大切な仕事があるのだ。彼の言葉を伝えるという大切な仕事が…

『ヴィクトルが、今までありがとう…って。眠るように逝ったよ。苦しまなかった』

泣き続けるヤコフさんに僕はそっと寄り添い続けた。かつてヴィクトルがそうしていたように。

そう遠くない未来、僕はヴィクトルと同じ場所に逝くだろう。ユリオは少し寂しそうに、だけどすべてを悟った目で僕のことを見ている。死にゆくものを見送る目だ。



その年の冬、僕はヴィクトルを待たせることなくこの世を去った。ロシアの長く憂鬱な暗い冬にユリオとヤコフを残して…


人生の半分を「ヴィクトル」に捧げ続けた一人の男のお話。
本人に変態であるという自覚はあるのでご安心ください。



私の弟は勝生勇利。どこにでもいる日本のフィギュアスケーターで右手にロシア人コーチと揃いの指輪をしてニコニコしながらロシアへと旅立っていった男だ。 さらにいうのであれば、いま、世界で最も注目を浴びている男でもある…。
【キュート・アグレッション】

可愛い動物を前にしたとき、可愛さのあまりぎゅっとつぶしたい、ぐしゃぐしゃにしたいと思ったことはないだろうか?
僕は思った。
ヴィクトルが僕に組み敷かれ、白いシーツの上で熱に浮かされ身悶えしながら僕を受け入れているのを見たときに思った。

明確にハッキリと、否定できないほどの破壊衝動を感じた。

そして僕がその感情に支配された夜は、往往にしてヴィクトルの意識がなくなるまで激しく攻め立てるのだ。言葉と身体で。

「いじわるしないでよ…っ」
「いや!やめて、ユウリやめて…あっ」
「ひぐぅ…あぁ…ッ」


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


ここ最近、僕は常に「ヴィクトルを滅茶苦茶にしてやりたい…!」と思っている。

ヴィクトルと出会い、ヴィクトルと過ごし、ヴィクトルを通して「愛」を知り、ヴィクトルのおかげてメダルを取り、僕の中でヴィクトルが大きくなるにつれ、その感情は僕の中で大きくなっていったように思う。ハッキリしたことは自分でもわからないが、きっと今までも無自覚にこの情動を抱えていたのだろう。ただ今までの僕はその感情の発散方法を幸か不幸か知らなかったのだ。
しかしロシアに拠点を移し、ヴィクトルと恋人関係になって、僕は攻撃対象を手にしてしまった。

「食べちゃいたくなるほどかわいい」という言葉は世界共通で使われる表現だが、言葉通りにとらえたら危ない人のようだし、実行したらとんでもないことになる。
でも僕はヴィクトルのことを食べてしまいたいと思っている。その白くて滑らかな肌に齧り付きたいと思っている。滅茶苦茶にしてやりたいと思っている。

想像してみてほしい。彼のシャープな顎のラインを描くあの頬に、前触れなく唐突に思いっきり噛り付いてみたら…ヴィクトルはどういった反応を示すだろうか。
頬を齧るなんてベッドの上でもしたことがない。性的ですらないその行動を前に、彼は酷く困惑するのではないだろうか。

齧られた頬の痛みに目を潤ませながら動揺する彼の姿はとても可愛い。

本当に可愛くて可愛くて…もっともっと虐めたくなってくる。
こんなことを言うと「変態」とか「猟奇的」と思われるから誰にもいわないが、でもそんなに異常な感情だろうか?

可愛いものへの攻撃性は、本来、誰もが持っているものだと僕は思う。実際、米国の心理学者に言わせると「かわいい動物を見ていたぶりたくなるのは、実際に触れることができないフラストレーションによるもの」との見解がある。
要するに、人は可愛いものを見ると興奮状態に陥り、自分自身の感情をコントロールできなくなるのだ。そんな過剰な反応に対するフラストレーションが可愛いものへの攻撃性に繋がる。
そして一般的にこのフラストレーションは、対象のかわいい動物に実際に触れられないときにより一層強くなるという。

ここだけの話、僕はこの話を聞いたとき下半身が軽く疼いたことを覚えている。

人々はかわいい動物を傷つけたいと思っているわけではなく、むしろ撫でたい、愛でたいと思っているのに、それができないからフラストレーションを感じているわけだ。かつてヴィクトルのポスターに性器を擦り付け、彼を汚していた若かりし日の自分を思い出して胸が熱くなる!

大好きなんだ!
大好きなんだよヴィクトル!!
ヴィクトル!

賢者タイムが訪れると自己嫌悪に陥るが、僕は長らくこの行為をやめることができなかった。
ヴィクトルに触れることはおろか話しかけることすらできない僕にとってポスターだけが唯一の攻撃対象だったのだ。ヴィクトルに酷いことをしたくて堪らなかった…。
ひんやり冷えたポスターの、あのつるつるの感触は、まるでヴィクトルに冷たくされているようで堪らなく興奮したことも覚えている。

しかしこれだけでは今現在ヴィクトルに触れることができる僕が、ヴィクトルに対して抱えている破壊衝動を説明することは難しい。

僕は異常者なのか、それとも変態的にヴィクトルを愛しているのか。
この感情に蓋をすべきなのか、はたまた向き合うべきなのか。

悩む僕。
日増しに僕と距離を取りたがるようになっていくヴィクトル。
訝しむ周囲。

止まらないヴィクトルへの愛と破壊衝動。

答えを求め自問自答の日々を送る僕に、しかし答えは意外な場所からやってきた。
この国には年に一度、リアルタイムの生放送で大統領がどんな下らない質問にも答えてくれるという日本では考えられない番組が毎年用意されているのだ!

ちなみに、僕が見たのは二年前の再放送で質問者は7歳のピーテル在住の女の子だった。

『犬を飼ってるの。ヴィクトルと同じ犬よ?
とっても可愛いの。
でも意地悪しちゃうの。とっても可愛いのに困らせたくなっちゃう。ママは可哀想だからやめなさいっていうんだけど、困ってるところも可愛いからやめられないの。どうしたらいいと思う?』

「結論からいおう。君は間違っていない」

かわいいものを見るとドーパミンが放出されていい気分になる。だがドーパミンは我々が攻撃的になったときにも分泌される。だから脳内で何らかの混線が生じて攻撃的になっているんだろう。

あるいはこうも考えられる。感情が高ぶったとき、脳はエネルギーの消費を必要とされるが、それを抑えて調整するために、正反対の反応でバランスを取る。それが「いじわる」として表れている。

「君は犬を可愛いと思っている。あまりに可愛すぎて平常心を失いかけているため、本能的に真逆の行動をとることで平常心を取り戻そうとしているのだ。わかるかな?」

毎年カンペも見ず、よくスラスラと国策から下ネタまで淀みなく何時間も対応できるよね…とヴィクトルでさえ感心するその番組はもちろん今年も放送されていた。
大統領は最後にこう締めくくる。

「これは、嬉しいときに涙が出たり、悲しみのあまり笑ってしまったりといった反応にも同じことが言える。大人になれば君にもわかるよ」

質問者の女の子に大統領の説明が理解できたのかは謎だが、24歳成人男子の僕にはシッカリ理解できた。

僕は異常じゃない!!
すべては可愛すぎるヴィクトルが悪いのだ!


ヴィクトルは世界一のモテ男だ。
世界の人々はそう思っていたし、僕もヴィクトルをコーチに迎えるまではそう思って疑ったことすらなかった。スマートでカッコよくて美青年で何をやっても絵になる男!
しかし実際目の前に現れた彼は、どこまでも愛らしく可愛らしい無邪気な生き物だった。真面なのはリンクの上に立っている時だけ。他は全部ダメ。可愛いとしか言いようがない。

こんなに可愛くて世間知らずで無邪気な生き物が、よく今まで無事に過ごせてきたものだと感心せざるを得ない。
きっと周囲の人間が幼い頃から大切に大切に育ててきたのだろう。
そんな可愛くて愛らしい生き物を僕は手に入れた。滅茶苦茶にしてやりたいという破壊衝動はヴィクトルへの愛の裏返しだったのだ!

僕はヴィクトル・ニキフォロフという存在を自分を見失うほどに愛している!
自信を持って言える。大統領だってそういっている!

ではヴィクトルと気不味くなっている僕がいま何をすべきなのか。答えは簡単だ。

この溢れ出る破壊衝動という名の愛をヴィクトルに理解してもらうため、僕はリビングを飛び出し鍵がかけられた寝室のドアを一心に叩いた。

「ヴィクトル!もう意地悪しないなんて約束できないけど、でも僕は、間違いなくヴィクトルを愛してる!本当だよ?
どうして僕がヴィクトルに酷いことばっかりするのか説明だってできるッ」

ねぇお願いだから機嫌直してよ!
僕はヴィクトルを愛してるだけなんだよっ
途中で僕をベッドから蹴り飛ばすなんてあんまりだよ!
話し合おう、僕が悪かった。もうアレはしないから!ね!!?


(ユーリも赤ちゃんプレイ好きなのかな…)

ベッドの上で上半身を捲り上げ俺はそんなことを思った。胸元には俺の乳首を口に含み吸ったり噛んだり、舌で転がしたりする勇利がいる。

「あぁ…っ」

思わず口から零れた声は甘く性的で、俺がこの行為で快感を得ていることを如実に示している。
そう、俺は乳首がとても弱いのだ…。


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


金持ちの道楽とはときに人の理解を超える。
当時、俺のパトロンだった協会の理事の男の趣味もまた、例にもれず俺の理解の範疇を超えていた。
地位も名誉もあり、妻子すらある中年のこの男は自らを赤ん坊に見立てた擬似プレイがお好みだった。わざわざその為だけに家を一軒購入するほどに、そのプレイに没頭し、俺を「母」として慕っていた。

「ただいま~」

玄関の鍵を開けた瞬間から既にプレイは始まっている。
俺は男に与えられた鍵を使い玄関を開け、帰宅の声をかけた。この家には赤ん坊が一人、母の帰宅を子供部屋に置かれたベビーベッドの中で待っているのだ。成人男性(しかも中年)が横たわるベッドを「ベビーベッド」といっていいのかどうかは迷うところだが、面白いことが好きな俺はそれなりにこのアブノーマルなプレイを楽しんでいた。

『マーマ』

その一言がメールで来たらお誘いの合図だった。
男の中でどんな設定になっているのかは知らないが、何事にも凝り性な俺は自分なりにこのプレイに設定を作っていた。男はプレイ中は終始「アゥー」とか「ばぶぅ」とか「マーマァ」としか言わないので、俺は自分の設定で自分の思うようにプレイを進行させている。

俺は今年で18になる未婚の母だ。この家には息子と二人で暮らしており、俺は息子を溺愛している。
男なのに「母」なのはおかしな話だが、そこがこの男の歪んだ性癖を表しているようで可笑しくもある。
家の中は管理が行き届き、調度品も一般家庭を再現しており、男の本気がうかがえる。ならば俺も本気で相手をしなければならないだろう!

今日は練習帰りにメールが着ていた為、俺はリンクから直接家に顔を出した。色気も何もない普段着のままで、荷物をリビングのソファの上に放り出すと二階の子供部屋へと真っ先に足を向ける。
母親だったら何よりもまず子供を優先するはずだろ?

「元気だったかい?俺の可愛いアーリク」

笑顔で巨大なベビーベッドを覗き込む。木製で作られたそれは特注品だ。そしてもちろん「赤ん坊」が身に付けているベビー服も特注品。
何もかも男のサイズに合わせて作られている。
ちなみに今いる子供部屋は俺が母として可愛いアーリクのために家を購入して直ぐコーディネートしたものだ。空を思わせる青い壁紙に、天井からは飛行機のおもちゃなどが吊り下げられている。ベビーベッド以外の家具は雲を連想させる白で統一した。我ながらいい出来だ!
二階の一番日当たりのいい部屋に用意された子供部屋はいつだって温かく開放感に満ちていた。今だってそうだ。夕方に呼び出され、日はとっくに沈んでいたが、屋内に張り巡らされたセントラルヒーティングの為だけではなく、日中窓から取り込まれた太陽光によって他の部屋とは異なる雰囲気を醸し出している。
男が何かあるたびにこの部屋に逃げ込みたくなる気持ちもよく分かる。この部屋はとても居心地がいい。

「マーマァ」

ベビーベッドから伸びる大きな手。
男の名前はアレクセイといい、家柄学歴ともに申し分なく容姿の点でも及第点という完璧を絵に描いたような男だった。
こういう男はロシアでは大抵がSM好きの変態なのだが、この男はそうではなかった。

「はいはい、お腹が減っちゃったんだね~。直ぐマーマのミルクをあげるからね」

俺はそういうとベビーベッドの側面の柵の1つを取り外す。そして中で横たわる赤ん坊に手を差し伸べ優しく起こしてやった。
自分より大きな身体を抱き締め、安心させるように背中を優しくさすり頬にキスをする。

驚くことだか、俺とアーリクの間には性的な関係が一切なかった。
アーリクはただ俺に甘え、母として慕い、そしてミルクを欲しがる。

俺は自分の上着を捲りあげ、赤ん坊の前に無防備な、しかし鍛え上げられたムダのない大胸筋が盛り上がる胸を差し出した。
フィギュアのためだけに作り上げられた1身体。それにどんな魅力があるのか俺には想像もつかない。どうせ吸い付くのなら、抱き着くのなら、柔らかくていい匂いのする女性の身体の方がいいに決まっている。
ジュニア時代から伸ばしていた髪も切り、女性的な要素などなくなったはずなのだが、それでも男は構わず俺を「マーマ」と呼ぶ。

差し出された胸にアーリクは何の疑いも持たず素直に吸い付く。
ちゅうちゅう…ぺろぺろ。時に歯を立て、俺を困らせたりもするが、とにかく気がすむまでひたすら何も出ない俺の胸に吸い付き続ける。
いつも左胸から始まる形ばかりの授乳は、左が終わると右胸へと移る。

「そんなにお腹が空いてたの?今日はいつもより吸い付きがいいね♡」

アーリクの頭を撫でながら話しかける。アーリクは赤ん坊だから言葉を発することは滅多にない。何かを要求するときも「アー!」とか「うぅ」とか、あとはせいぜい指をさすだけ。本当に赤ん坊みたいだ。だから「赤ちゃんプレイ」なんだろうけど…。

アーリクに吸われ涎でベトベトになった左胸が空気にさらされ冷えて行く。散々授乳でなぶられた乳首は凝り固まりツン…と硬くしこっている。色も前より濃くなったような気がする。

(前は薄ピンクだったのになぁ…)

そんなことを思いながらアーリクを抱き締め、その頭を撫でているとカリッと歯を立てられてしまった。

「こら!痛いだろ?悪い子…めっ」
「うぅーー」

口先だけで叱ってやれば拗ねたような目で見上げられた。それでも乳首を離さないのだから本当に悪い子だ。

「もう今日はおしまい。悪い子にはミルクはあげないよ」

サッとアーリクから離れて捲っていた上着を下ろす。するとどうだろう、お乳を取り上げられたアーリクが声を上げて泣き始めたではないか。
わんわん声を上げ、手足をバタつかせて泣く姿は赤ん坊そのものだ。

「ほら泣かないの。もういっぱい飲んだでしょ?また後でね」
「ぅううう!!!」

ぐずる身体を抱き締めてやるが、アーリクはどこまでも頑固だ。とうとう俺の服の上から乳首を探し出すと迷わず口に含んで服ごとヂュゥヂュゥ吸い始めてしまう。
これにはさすがの俺もお手上げだ。

「わかった、わかったよ。マーマが悪かった。服なんて口に入れちゃダメだよ。ほら、おっぱいあげるから…ね」
「まーぅ」

結局この後たっぷり15分以上授乳は続き、アーリクをお風呂に入れる頃には俺の両乳首は赤く色付き凝り固まっていたのだった。

(こんなこと続けてたら俺の乳首変になっちゃうんじゃない??)

この時の俺の不安は程なく的中し、俺はアーリクとの赤ちゃんプレイで性的な興奮を覚えるようになってしまった。

要は乳首で快感を得るようになってしまったのだ。

アーリクへの授乳は決して性的な要素などなかったというのに、胸を吸われ快感を覚えると下半身に芯が通るようになってしまった。
そしてそれはアーリクにも伝わったのか、俺たちのプレイは最終的にはアーリクの下半身の処理までが「母」である俺の仕事になってしまった。

『アーリク、おちんちん腫れてるね。マーマが楽にしてあげる』
『アーリク、寝る前におちんちん綺麗にしようね。お漏らししたら恥ずかしいもんね』


手前勝手な赤ん坊は子供部屋から一人で歩いで移動できる。
とうとう子供部屋から飛び出し、リビングでプレイするようになった俺たちを止めるものなど誰もいなかった。

ソファに座った俺の脚の間に陣取ったベビー服姿の男が、胸に激しく吸い付いてくる。子供部屋で行われていたソレとは趣を異にする行為は最早授乳などではなかった。
胸に与えられる快感に俺は熱い吐息をこぼしながら天井を仰いだ。

「はぁ…アーリク、きもちいぃ」

もうそこには母親などいなかった。
いや最初からそんなものはどこにも居なかったのだ。
芯の通った下半身に伸ばされた男の手が、ハッキリとした意志を持って布越しに愛撫を与えてくる。

「凄くいいよアーリク。いい子、大好きだよぉ」



・:*三☆・:*三☆・:*三☆


「ユーリ、俺のおっぱい美味しい?」

返事の代わりに乳首にカリッと歯を立てられた。それすら俺には快感なんだけど、勇利はどこか不満そうだ。
どうしてだろう?
機嫌をとるように頭を撫ぜてやれば、今度は不機嫌そうに顔を歪める。

「ヴィクトルは僕をなんだと思ってるの」
「さぁ…なんだろう」
「たまに赤ん坊をあやすみたいな態度とるときあるよね。いまとか…」
「そんなつもりないけど?」

あぁ…でも確かにそうかもしれない。ベッドの上で俺はよく勇利を甘やかす。小さな子供のように、赤ん坊のように。

でもそれのどこかいけないのだろう。
勇利が可愛いから俺は勇利を甘やかすのだ。母のように…。


オレの初恋が終わった。

オレの中でヴィクトル・ニキフォロフへの『愛』が決壊したのだ。
翌日の新聞には世界選手権の結果とともに「ユーリ・プリセツキー、リンクの中心でヴィクトル・ニキフォロフへの愛を叫ぶ」の見出しが躍っていた…。

最悪だ。


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


今シーズン。ヴィクトルは4回転の数を減らし質で勝負した。その目論見通りGOEはジャンプすべてで満点の+3。
ただし4回転が去年より減ったことでヴィクトルのFSの得点は去年より低く、総合でも去年を10点ほど下回る優勝だった。

「ショートもフリーもいま自分ができるものしか入れていないよ。練習でもノーミスでできていたから自信を持って滑れたんだと思うな」

やはり次元が違う。
言うことが違う。
フリーは点数こそ去年より下回ったが引き込まれる演技だった。

一方オレはといえば「ヴィクトルに勝ちたい!」その思いがFSで焦りを生み自爆した。
演技後半、基礎点が1.1倍になる4回転トウループで力みすぎて2回転になるミスを犯した。さらに最悪なのは修正のため一回転ループを入れて4回転トウループに繋げて立て直そうとしたことが裏目に出た。
ここで単独ジャンプをコンビネーションジャンプにするということは、演技を通して3度しかできないコンビネーションジャンプを1つ跳んだとカウントされてしまうのだ。

瞬時にそのミスに気づいたオレは軽く動揺し、その動揺から4回転トウループを跳ぶタイミングを逸し、2回転トウループ1回転ループのコンビネーションにとどめステップへ移行してしまった。
その後は必死でリカバリーのタイミングを伺いながらエレメンツをこなし気が付けば演技は終了していた。
とっさの機転で最後の4回転トウループにつけるコンビネーションジャンプの種類を変更し難易度を上げることで失った12点近い得点の回収を図ったが、心境的には完全に爆死だ。

自分でもらしくないほど4回転トウループのミスを気にして、冷静さを欠いた感情的なリカバリーに走ってしまった。
それというのも、なんの皮肉か運命か…。明らかに滑走順がオレにとって不利としかいいようのない順番だったのだ。

オレの直前にはカツ丼が滑り、オレの後には最終滑走のヴィクトルが滑る。

オレは自分の滑走前にライバルであるカツ丼の滑りを目にし、リンクサイドでコーチとしてカツ丼を見守るヴィクトルを目にし、更にはキスクラでいちゃつく二人を目にしてリンクへと滑り出したのだ。
おまけにオレの演技を次の滑走者であるヴィクトルはリンクサイドでヤコフと並んで楽し気に見ていた!!

オレがどれだけのストレスとプレッシャーを受けたか、お前らにわかるか!??

ヴィクトルの見ている目の前で、オレは4回転トウループを無様に失敗したのだ!これが冷静でいられるか!?
全身の血液があの瞬間、沸騰するのをオレは感じたね!

何にせよ失敗は失敗だ。ヤコフにもキスクラで説教を受けたし、何よりも誰よりも、オレ自身がヘコんでいた。

オレにもう一つ4回転ジャンプがあれば、あるいは展開は違っていたのかもしれない。
2種類の4回転を組み合わせ、難易度を上げることで加点を狙って点数を重ねてきたオレにとって前半に高得点の4回転をGOE+3とともにもぎ取っていくヴィクトルは脅威でしかない。
体力もなく技術面でも劣るオレは、ひたすら後半に質のいいジャンプを集めるしかないのだ。
しかし今回のような展開も今後は念頭に入れていかなければならない。

このままでは世界と戦えない。
少なくともヴィクトルのいる世界では…!

もう一つ4回転ジャンプがあればプログラム構成難度は格段に上がるし、テクニカルエレメンツもあげられる。
プログラムコンポーネンツは今後の課題としても、今後世界で戦っていく以上、武器となる4回転は多いに越したことはない。ただコーチであるヤコフとしては4回転以上に身に付けさせたいものがあるらしい。要はジャンプに限らず、スピン、ステップ、コレオシークエンスの質を上げ、なおかつ、カツ丼が得意とし、逆にオレが伸び悩んでいるプログラムコンポーネンツも伸ばしたいのだ。

オレはカツ丼より若く、そして未熟だ。
だが若いということは、それだけで伸びしろがあるということだ。

正直なところ、ヴィクトルが戻ってきた以上、今のオレに勝機はない。あらゆる要素においてヴィクトルに勝てるものがないのだ。

ワールドでヴィクトルはオレが更新したショートの歴代最高得点をアッサリ笑顔で塗り替えてきた。
ワールドで見せた演技は今シーズンの集大成と呼ぶに相応しい内容だった。なにより衣装まで今日この日のために変えてきやがった!!
ヴィクトルに対するライバル心と憧れと恋心と愛しさと…色々なものが込上げて、気が付いたら表彰式が終わったリンクの上で、オレは一人天を仰ぎ叫んでいた。

最高だチクショー!
最高だ!!クソカッコイイ!
文句の付けようがねーじゃねーか、ヴィクトル!

「大好きだ馬鹿野郎ォオオオオオーーーー!!!」

オレは、お前が大好きなんだよ聞いてんのか!間の抜けだツラしやがって、可愛いなクソッ

「オレは、お前が…大好きだチクショーーーーー!!」

演技後に泣いたことはあっても、表彰式後に泣くのはこれが初めてだ。
っていうか、今シーズンは泣いてばっかだ!!

全部テメーのせいじゃねーかヴィクトルこの野郎ッ

カツ丼と共にリンクを去ろうとしていたヴィクトルが、オレの叫びを受けて立ち止まり振り返る。

「ユリオは元気だなぁ~、あはは」

いつものムカつく笑顔も、今日に限っては胸にクる。

この感情がなんなのか、オレはそのとき悟った。

(恋じゃねぇよ…!)

これ恋じゃなくて、別のやつだぁあああああーーーー!!!!!




大会終了後、ヴィクトルの家に帰宅したオレは、同じく帰宅していた二人を残しすぐさま本屋へと走った。ネット通販するより本屋に買いに走った方が早い上に初回特典版が今ならまだあるはずだと踏んだからだ。
いつもの服装にフードを目深に被り、黒いマスクをはめ、サングラスまでしているオレはまるで不審者だ。だがオレはオレの中に芽生えた感情を大切にしていきたいと思っている。

店内を探し回るのも面倒で、真っ直ぐレジへと向かう。

「ヴィクトル・ニキフォロフの初回特典付き写真集ください!」


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