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どんなに素晴らしい存在にも終わりの時はやってくる。時間はすべてのものの上に平等に流れるし、それから逃れる術はない。特に僕たちのような小さな生き物にとっては…


ヤコフさん家にいる、青い瞳の白猫と黒猫。そしてトラ柄の仔猫のお話し。


・:*三☆・:*三☆・:*三☆

僕の名前は勇利。
いま僕は最愛のひとを見送ったところだ。


どんなに素晴らしい存在にも終わりの時はやってくる。時間はすべてのものの上に平等に流れるし、それから逃れる術はない。特に僕たちのような小さな生き物にとって20年を生きるということは大変な大往生だった。




僕とヴィクトルの出会いには、ユリオのような感動秘話など一切ない。なぜなら陽気で愛想のいいヴィクトルは、なんの特徴もない雑種で黒猫の僕を一目で気に入り、快く受け入れ甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたからだ。
ヴィクトルは白く美しい毛を持つ血統書付きの猫で、飼い主であるヤコフさん自慢の猫だっだ。氷のような冷たさを思わせるアイスブルーの瞳が印象的なくせに、外見を裏切るお茶目で悪戯好きなところが彼の最大の魅力といえるだろう。一方の僕はといえば、平々凡々で、とりたてて特徴のない外見と性格をしていた。
いまだになぜヴィクトルが僕なんかを気に入ってくれたのかは謎だ。ヴィクトルは終生僕のそばを離れず、窓越しにやってくるメス猫の誘いにも乗らず、ヤコフさんが連れてくるお見合い相手にも目もくれず、僕だけを愛してくれた。

『勇利、俺はお前の黒々とした夜の帳を思わせる純黒の被毛。それに星の瞬きを思わせる金色の瞳が大好きだ』

今でも思い出せる。真冬の湖面を思わせる青く透明な瞳を潤ませて、彼の舌が優しく愛情深く、うっとりと僕の被毛を毛繕ってくれたあの感触を…。

彼は僕を愛し、僕もまた彼を愛した。満たされた日々だった。例え彼が僕たちの中で一番年上で、一番最初に天に召される定めだとしても、僕たちは幸せだった。

変化は徐々にやってきた。
あんなに元気で陽気で愛想のよかったヴィクトルの睡眠時間がどんどん増えていったのだ。そのうちずっと眠っているようになり、大好きだった食事の量も減っていった。やがて陽の光を受けるとキラキラ銀色に輝く純白の被毛に鈍色の毛が混じるようになる頃、僕はヴィクトルとの永遠の別れの時が近づいているのだと悟った。

ヴィクトルは「最近眠ってばかりで動いてないから、お腹が減らないんだよ」といっていたけれど、僕は胸が張り裂けそうだった。そしていつも以上に僕はヴィクトルに寄り添うようになった。そんな僕をみてなにを思ったのか、遊びたい盛りのユリオも、大好きなおもちゃを放って僕たちに寄り添うようになった。

ソファの上に寄り添って眠る僕たちは、まるで本当の親子のようだった。ロシアの美しくない春、短い夏と暗い冬。そして黄金の秋を僕たちは何度も共に過ごした。
今でも耳に蘇るヴィクトルとユリオの会話。

『小さなユーリ大好きだよ。おいで、毛繕いしてあげる』
『うるせぇ!ガキ扱いすんな!』


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


初めは猫を飼うつもりなどなかった。
しかし「運命」というものがあるのなら、まさにヴィーチャとワシの出会いこそ運命そのものだろう。

妻と離婚し仕事に忙殺される日々の中、それでも真っ直ぐ前を見て進んでこれたのはヴィーチャがいたからだ。

ヴィーチャに出会わなければ一人暮らしの寂しさから酒に溺れていただろう。
ヴィーチャを知らなければ猫を愛おしく思うこともなく、勇利を引き取ることもしなかっただろう。もちろん、職場の玄関先に捨て置かれたユーリを引き取ることだってなかったはずだ。
子供のいないワシにとって、この子達こそ「家族」だった。

しかし別れの時はやってくる。
我が家にやってきたときには生後3ヶ月の仔猫だったヴィーチャも、いまは20歳を数え、病気こそないが日に日に眠る時間が増えてゆく。別れの時が近いことを知っているのか、勇利とユーリは近頃ではヴィーチャのそばを離れようとしなかった。

(覚悟しなければならんか…)

人知れず枕を涙で濡らす日々が始まった。


そしてその日はやってきた。
ある朝、いつもならヴィクトルのそばから離れない勇利がひとりで朝ごはんを食べに来たのだ。
「どうした?」と尋ねれば、行儀よく前足を揃えて座り、真っ直ぐワシの目を見て一言「にゃぁ…」と鳴いてよこした。それだけで十分だった。
ワシはその場に崩れ落ち、おいおいと年甲斐もなく声を上げて泣いた。

ヴィーチャと過ごした20年間。それは早くからフィギュアの代表として家を出た自分にとって、両親や兄弟と過ごした時間よりも長かった。もちろん大恋愛の末、結婚した最愛の妻と過ごした時間などよりも遥かに長かった。
スケートを除けば、ヴィーチャ以上にワシと共に過ごしたものなど、この世のどこにもいなかった。

仔猫の頃のヴィーチャは本当に悪戯好きで何度驚かされたか分かったものではない。叱っても我関せずといった風で毛繕いに勤しむ姿は仔猫ながらに優美で、叱るのがバカらしくなるほどだった。そのくせ甘えん坊で、夜になると日中のことなどコロッと忘れたようにワシのベットに潜り込んでくるのだから可愛くて堪らない!
気紛れで陽気で甘えん坊なヴィーチャのために注ぎ込んだ金は計り知れない。食事に始まりおやつに玩具。果ては自宅のリフォームまで。とにかくヴィーチャ中心の生活だった。
仕事で家を開けることが多いため、その後ろめたさもあったのかもしれない。実際、勇利を引き取ったのも、家でひとり留守番をしているヴィーチャを気遣ってのことだったのだから…。

仔猫を過ぎ青年期になるとさすがのヴィーチャも窓辺で大人しく佇む姿などを見せるようになってきた。その美しい佇まいに見惚れていると、いつのまにか窓の外には猫がいた…なんてことも一度や二度ではない。ヴィーチャの美しさは人のみならず猫をも惹きつけるものらしい、と誇らしく思ったものだ。
もっとも窓の外にいる猫たちの中にオス猫まで混じっていたことは衝撃以外の何者でもなかったが!

とはいえワシに甘やかされて育ったヴィーチャは外の世界を知らない。このままだと本当に窓越しの猫としか遊べないとこになってしまう。親心としては複雑なところだ。ヴィーチャをこのまま独占したい気持ちと、ヴィーチャ自身ですら気付いていない淋しさを埋めてやりたい気持ち。その狭間で揺れ動く心を抱え1ヶ月もの間ワシは悩み続けた。
しかし転機は思わぬところからやってきた。なんとロシアにフィギュアの指導を仰ぎにきていた日本人スケーターが引退して日本に帰国するにあたり猫の引取先を探しているというのだ。しかもワシの猫好きをききつけ直接声をかけてきた。

(これはもう定めと思うより他あるまい…!)

こうしてワシはなんの変哲もない黒猫をヴィーチャの友人として迎えることになったのだが、ヴィーチャはその黒猫をいたく気に入り二匹はすぐに仲良くなってしまった。ワシが嫉妬するほどに…。
とはいえヴィーチャはやはり変わらずヴィーチャのままだった。
ワシの元気がないときは勇利を置いて真っ先にヴィーチャがやってきた。それはさながら『どうしたのヤコフ?元気出して』といっているかのような仕草で慰めてくれるのだ!

(どうだ見たか?ヴィーチャはワシのことが大好きなんだぞ)

自分が飼っている黒猫相手に嫉妬もなにもないが、あの頃、勇利とワシの間には確かにライバル関係のようなものが存在していた。
しかし仲睦まじい二匹の姿を見るうちに、その気持ちもなくなり、やがて時の流れに逆らうことなくヴィーチャは老齢期に突入した。
とはいえ心配するような大きな変化もなく、二歳年の離れた勇利とともに隙をみては脱走したり、こちらが忘れた頃に悪戯を仕掛けてきたりと優雅なものだった。

だが勇利も老齢期に差し掛かる頃には二匹ともすっかり大人しくなり、家の中には穏やかな時間が流れるようになった。ワシがユーリを拾ってくるまでは…!

その猫は職場であるリンクの玄関先に捨てられていた。いや正確には座り込んでいた。
生後二ヶ月ほどだろうか…まだ小さいながらもヤンチャで物怖じしない様子はかつてのヴィーチャを思い出させた。しかしそれだけならワシも今更仔猫など拾ってきたりはしない。なんとその仔猫はワシの服のにおいをしきりに嗅ぎまくり物言いたげにズボンに爪を立て「ニャー、ニャー」鳴いたのだ。

これは運命としかいいようがない。

ワシは迷わず仔猫を拾い、その日の夜にはヴィーチャと勇利に引き合わせた。…のだが、なんともこの仔猫は一筋縄ではいかない手のかかる仔猫で、ワシもヴィーチャも、そして勇利すら振り回し、忘れていた楽しい時間を提供してくれたのだった。

「こらぁあああ!!!またお前かユーリ!ワシの古小谷の角皿を割りおって…今度という今度はゆるさぁああーーーーんッ」

生意気で鼻っ柱が強くて喧嘩っ早い。ユーリは実に困った猫だったが、ヴィーチャはトラ柄の仔猫を実の子のように甲斐甲斐しく面倒をみていた。家に来て二ヶ月後には、どこからどうみても毛並みのいい上品な猫になっていたのには驚いたが、脱走癖と喧嘩癖だけはいつまで経っても治らなかった。
とはいえヴィーチャや勇利には喧嘩をふっかけていないあたり、家族を大切にするタイプなのかもしれない。
新しい家族を迎え、ヴィーチャは活き活きしていた。三匹一緒に眠る姿は本当の親子のようですらあった。

しかしそれでもヴィーチャはやはりヴィーチャだった。

真夜中、ヴィーチャは勇利やユーリの目を盗み、こっそりワシの布団に潜り込んでくることがあったのだ。いくつになっても甘えん坊なヴィーチャは、やはりワシにとって最も愛すべき存在だった。

そんなヴィーチャがワシのもとから去って行った。
黄金の秋。
ヴィーチャはロシアで最も美しい季節に静かに息を引き取った。

「おやすみヴィーチャ。よいゆめを…」


ロシアの美しくない春も、短すぎる夏も、陰気な暗い冬も。いつだってワシのそばにはヴィーチャがいた。そして黄金に輝く秋にも。

だがしばらくの間、ワシの中で秋が輝くことはないだろう。


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


夜明けのサフランのような…
早春の勿忘草のような…
あるいは雨上がりの紫陽花のような…

最期の夜、月明かりに照らされたヴィクトルの瞳はまるく大きく、どこまでも澄んだ瞳だった。

『ありがとう勇利。ヤコフにも伝えて…いままでたくさんありがとうって。ユリオにも伝えて、大好きだよって』
『うん…』


銀の燭台
秋の夜長のホットワインの香り
出窓を彩るセントポーリア
脱走して見つけた満開のアザレアガーデン
悪戯して割った古九谷の角皿
雨にむせぶ赤土のにおい
鉢植えのゼラニウム
ふたりで見た寒空の三日月
ヤコフの帰りを待ちながら聞いたガラス窓を打つ北風の音
ユリオが好きな出来立てのピロシキの香り
パトロール中の夕立の雨宿り

ヴィクトルが小さな声で語る思い出話に重なるように、どこからかアリアが聞こえてくる。それはもしかしたら僕のすすり泣く声だったのかもしれないし、どこかから風に乗って聞こえてきた音楽なのかもしれない。そのアリアに見送られるように、少しずつ少しずつヴィクトルの鼓動は小さくなっていった。

『おやすみヴィクトル。大好きだよ。ずっとずっと大好きだよ』

最期の瞬間。黄金の秋を象徴するかのように窓から差し込む眩しい朝日に照らされて、ヴィクトルは神々しく銀色に輝いていた。そんなヴィクトルを瞳に焼き付け、僕はユリオを起こさないようにヴィクトルから離れた。僕にはヴィクトルに託された大切な仕事があるのだ。彼の言葉を伝えるという大切な仕事が…

『ヴィクトルが、今までありがとう…って。眠るように逝ったよ。苦しまなかった』

泣き続けるヤコフさんに僕はそっと寄り添い続けた。かつてヴィクトルがそうしていたように。

そう遠くない未来、僕はヴィクトルと同じ場所に逝くだろう。ユリオは少し寂しそうに、だけどすべてを悟った目で僕のことを見ている。死にゆくものを見送る目だ。



その年の冬、僕はヴィクトルを待たせることなくこの世を去った。ロシアの長く憂鬱な暗い冬にユリオとヤコフを残して…


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