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ヨーロッパ選手権、男子ショートプログラム。
後半グループが6分間練習のためリンクサイドに集まってきていた。そんな中で俺は珍しく緊張を口にした。

「こんなことならユーリとエッチしといた方が良かったかなぁ…」

俺の隣には同じく後半グループをクジで引き当てたユリオが同門のよしみでストレッチしながら話を聞いている。

「ゼッテーしなくて正解だったぞ、クソジジイ」

ユリオはそういうと練習開始時間ぴったりに開け放たれた扉から、製氷を終えたばかりのリンクへ勢いよく駆け出していった。俺とユリオの会話はロシア語だったから周囲の選手には理解できなかっただろう。試合前の6分間練習を目前に控えて、自分がこんなことを言う日が来るなんて夢にも思わなかった。
周囲の選手から遅れてリンクインした俺の背中に「ヴィクトル、ダバーイ!!」と声がかけられる。振り返れば関係者用の観客席から勇利が俺に手を振っていた。

(人の気も知らないで…)


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


今シーズン約9カ月、選手としてリンクを離れていた俺の現役復帰は、毎年12月下旬に行われたロシアナショナルだった。今年は俺の誕生日まえに試合が行われ、俺は27歳最後の試合を奇しくも金メダルで締めくくることができた。
いや、「奇しくも」というのは言い得て妙な話だ。俺は間違いなく金を狙っていたのだから…。

勇利のGPF銀メダルを見届け、コーチ継続と勇利の現役継続を取り付けた俺はすぐさまロシアナショナルへ向け始動した。とはいえ俺も今シーズンで誕生日を迎え28歳になる。25歳を迎える頃には高齢スケーターとしていかに長くリンクに立ち続けるか…を念頭に置いた練習にシフトし始めていた俺としては、今日まで大きな怪我も不調もなくやってこれたのは当然のことだが、しかしだからといっていつまでもリンクに立ち続けるつもりもなかった。
人より長くリンクの上で生きてきた俺は、多くのトップスケーターやメダリスト達の落ち目もみてきた。当然それらは余り気分のいいものではない。だから俺は自分の引き際だけはハッキリ決めていた。

メダルが取れなくなったら終わりにしよう。

年齢なんて関係ない。いつスケーターとしてのピークが来るかなんて誰にもわからないのだ。それと同じで落ち目もいつやってくるかなんて誰にもわからない。ましてや「リビンクレジェンド」の落ち目なんて誰が見たい?
俺が今まで与え続けてきた驚きと感動に水を差すことだけはしなくなかった。みんながその瞬間感じてくれたものを永遠にしたかった。
それになにより勇利の前で無様な姿は見せられない!俺がロシアナショナルで金を獲れなかったら、きっと勇利は自分を責める。勇利が信じるヴィクトル・ニキフォロフはいつだって金なのだ。どんな状況下であっても、俺はベストを尽くしてみせる。メンタルの弱い勇利にこそ、俺のその姿を見せたかった。俺は選手としてもコーチとしても、まだまだ勇利に伝えたいこと、届けたいことがイッパイあった。

…と思っていたはずなのに、実際、ホームリンクに帰って滑ってみたら、世界は花が咲き乱れ、小鳥はうたを歌い、すべてのものが煌めいて眩しく、目に映るもの触れるものすべてが新鮮で驚きと感動の連続だった。
何を言っているのか分からないだろうね。俺もサッパリ分からなかった!だからヤコフにいったよ、

「ヤコフ…大変だ。世界が俺を祝福しまくってる!」
「見ればわかる…」

ヤコフも俺の変わりように眉を顰め腕を組み「まさかこうなるとは…」と唸っていた。
まぁ、結論から言えば、28歳にして俺は10代の頃の俺に戻ってしまったのだ!

とにかく滑るのが楽しい!
28歳。酒とコーチ業のおかげで鈍ったはずの身体も軽い!
どの音楽を聴いてもイマジネーションが溢れて止まらない!
楽しい、嬉しい、面白い!

「ヤコフ!!世界はこんなに輝いていたんだねっ」
「もういい、状況は分かった。今シーズンの曲を決めるぞ」
「うん!」

ロシアナショナルを控え他の選手たちがピリピリし始める中、俺の心は軽かった。

「で、何か希望はあるか?」
「うーん。ここに戻ってくるまでは去年エキシで滑った曲や、ストックしてた曲を使おうかと思ってたんだけど、やりたいことが見つかったからそれはナシ!」

いつものごとく人差し指を唇の前で立てた俺に、ヤコフは不審物を見るような目を向けてくるが俺は一切気にしない。

「今の俺が、今までの俺とどう違うのか、みんなに見せてあげたい!この感動をみんなにも分けてあげたいんだ。どう思う、ヤコフ!?」

かくして俺は過去の自分のプログラムの中から、今の俺に最も映えるであろうプログラムを選び、ジャンプ構成を変え今の俺用にアレンジし、かつメダルが狙える内容にして今シーズンの勝負曲とした。
ヤコフはいった。「元々お前が振付した曲だ。世界選手権連覇のきっかけとなったプログラムでもある。余程のミスでもない限り、今のお前ならメダルは獲れるだろう。色までは保障せんがな…」と。
本当にヤコフは最高のコーチだ!誰よりも俺のことを分かっている!!

「ありがと、ヤコフ!」

何一つ困ったことなどないが、久々にヤコフを好意的な意味で抱き締めたら、「衣装はどうするんだ」と訊いてきた。

「もちろん新しくするよ?だって今までの俺とは違うんだもん。同じ衣装なんて有り得ないよ~」
「今から作るとなると、ロシアナショナルには間に合わんぞ…」
「えーーーーー!!!!何とかしてよヤコフッ」
「無理なものは無理だ…」

…ということでロシアナショナルの衣装はエキシの衣装を使いまわすことにした。俺としてはチョット…いや、カナリ不満だったけど、観客からの受けは良かったから、まぁ良しとする。本番はワールドだしね!

ところが衣装は意外と早くできてしまい、ヨーロッパ選手権の頃には俺の手元に完成版が届いていた。でも俺はあえて新しい衣装に袖を通さず、エキシの衣装で大会に臨んでいる。お楽しみはワールドでね♡という俺なりのサプライズだ。
ヤコフは新しい衣装を着ない俺を心配して「気に入らなかったのか?」と訊いてきたが、ちがーうよ!
新生ヴィクトル・ニキフォロフの完成版をワールドでみんなに見せてあげたいのだ!


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


復帰以降、俺は体力的な問題もありスケーターとして外せない重要な大会以外は、それが国内大会であったとしても出場を控えた。もちろんアイスショーにだって出ていない。身も心も絶好調の俺だったが、コーチ業にも熱が入り、正直あれこれ手を広げられないというのも一つの理由だ。
なにより、こういう時こそ慎重に行動しなければ怪我をする。
コーチとしての俺はこの上なく情熱的だったが、選手としての俺はこの時期いままでにないほどに慎重派だったのだ。

新しい俺をみんなに見せてあげたいというキモチ。
そして新しい自分の世界に対する少しの戸惑い。
大胆でありながら繊細で、少しばかり臆病になっている俺は、さながら思春期の少女のようだ。

まぁ、そんな俺のことを勇利がどこまで理解できていたのかは確認のしようもないのだが、俺の演技に対して勇利からは絶賛の嵐だったので、何がしかは伝わっているのだろう。
コーチとしてリンクに立つことはあっても選手として滑る姿を見せたことはほぼなかったから、勇利が俺の演技をショート・フリー共に通してみたのはロシアナショナルの映像だけだ。

勇利はもしかしたらこれで俺の今シーズンの演技が完成形だと思っているのかもしれないが、それは大間違いだ。ワールドでは衣装だって替えるし、修正を加えたプログラムだって滑るたびに進化していく。
完成はワールドなのだ。楽しみにしているといい!


でもそんな風に俺が楽しい秘密を抱えながら笑っていられたのは、前半グループの選手が滑り終えるまでだった。


いままでだって『期待に応えよう』と思ってきたけど『期待に応えたい』と思ったのはこれが初めてだ。
俺は勇利と出会ってスケーティングだけでなく、その心の内まで変わってしまったらしい…。
俺は俺自身の変化に、よりによって今このタイミングで戸惑っていたのだ。

(試合前に緊張なんてしたことなかったのに…)

ぎゅ…と自らの胸元を握りしめ途方に暮れる俺。
ヤコフは当然のようにユリオの世話を焼いている。当たり前だ、俺は試合前だって平常心で緊張らしい緊張などしたこともなかったのだから、ヤコフだって完全に信頼しきって俺のことを放置している。
後半グループの6分間練習が迫り、各選手がジャージを脱ぎ控え室や廊下から移動を始めたというのにいつまでたっても動く気配のない俺に、ユリオが後ろから声をかけてきた。

「おい、移動しねぇのかよ」
「うん…」
「なぁ…まさかとは思うけど…緊張してんのか?」

ユリオの言葉に素直に言葉を返すことができず、俺は疲れたような笑みを浮かべてユリオを見つめ返した。

「勘弁しろよ…。なんでアンタが緊張してんだよ」

心底嫌そうな顔をして、しかしユリオは「とにかく移動だ」といって俺の腕を掴んで廊下を歩き出す。

「もしかしてアレか?カツ丼が見に来てるから緊張してんのか」
「そうかも…」
「心底鬱陶しいな」

ユリオの言葉を受け、俺も俺自身に凹みそうになる。

「ユーリの前では、いつでも完璧な俺でいたいんだ…」
「悪いがアンタが完璧だったところなんて、オレはリンク以外で見たことねぇぞ」
「Really !?そんな馬鹿な!俺はリンク以外でだって完璧だよっ」

ユリオの言葉に思わず大声が出てしまう。もうリンクサイドに到着し後半グループの選手たちもいるというのに、年甲斐もなく大声などあげて益々凹みそうになる。

「ユーリもそんな目で俺のこと見てるのかなぁ…」
「長谷津時代の自分を思い出せよ28歳児」
「あーーーー、勇利が俺とエッチしたいって言った気持ちが段々わかってきたぞ…」

額に手をあて天を仰ぎぼやく俺に、今度はユリオが大声を出す番だった。

「はぁ!!?おま、マジで言ってんのかッ」

俺とユリオの不用意な大声に、とうとうリリヤから「静かにしなさい!」とお叱りが入ったのだが、幸いなことに会話はすべてロシア語である。だから俺は安心してユリオに愚痴をこぼした。

「こんなことならユーリとエッチしといたほうが良かったかなぁ…」

追い詰められたアスリートは何をしでかすかわからない。どうやらそれは俺にも当てはまることだったらしい。



ねぇ勇利…。俺は人を驚かせるのが大好きだったんだ。だけどそれって逆にいえば、常に人の顔色を伺ってたってことなのかな?
いまはね、自分のために滑りたいって思うよ。新しい俺をみんなに見てもらいたい。
でもね、俺は勇利の期待にも応えたいんだ。

どうしよう…俺はすごく欲張りになってしまったみたいだ…。


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


ユリオと俺の掛け持ちコーチのヤコフは大変だ。俺とユリオが連番を引いてしまったので、もうずっとリンクから離れられないでいる。
なのにヤコフときたら疲れを一切見せない力強い目で、演技に向かう直前の俺の手を握りしめていったんだ。

「安心しろヴィーチャ。今のお前ならワールド6連覇だって夢じゃない」
「…ヤコフにそんなこと言われたの、初めてだ」

驚きに両目を見開く俺に、「いままでいう必要がなかったからな」と複雑そうな顔で応えるヤコフ。そんなヤコフに俺は思わず抱き付きその頬にキスしてしまった。まるで勇利と俺みたいだね。

「ありがと、ヤコフ。俺がんばるよ!ユーリのために頑張るからっ」
「ん!??おい、ヴィーチャまて!それは違うだろ…ッ」

ヤコフに別れを告げ、リンクの中央にむかって滑り出す俺に、なおもヤコフが話しかけてくるが気にしない。俺の心は決まっている。
観客席から聞こえるたくさんの声援に混じって聞こえてくる「ヴィクトル、ダバーイ!!」の声に投げキッスを送り、俺は一つ息を吐いて立ち位置についた。

目指すのは「金」それだけだ!


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