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「あの子の体温」
「子供って温かい…」って松陽が命の温かさに気付くお話。
「子供って温かい…」って松陽が命の温かさに気付くお話。
銀時が体調を崩したのは、折よく旅籠に泊まっていた夜半のことだった。
(この子のことを飼い被りすぎていた…)
思えば銀時が「鬼」と呼ばれる程の剣の腕前だったとしても、所詮は幼児。自分が縄張りにしていた戦野一帯から外にでたこともなく、また言葉も達者とはいえ怪しい部分があった。
かつて人々から「鬼」と呼ばれていた遠い日の自分とどこか重ねて考えていたのかもしれない。
いや、実際のところ、単純に「私」という生き物が「子供」というものにとんと縁がなく、その扱いがよく分かっていなかった…というのが正解だろう。
(あの子を拾ったときは、もう少し大きかったですしね…)
7歳に満たない銀時は「幼児」といっていい年齢で、見た目だけで判断するのであれば4,5歳といったところだろう。
旅籠で熱を出してくれたこともあり、すぐに医者の手配がついたのは良かったが、一晩中、熱にうなされる幼子の様子を見ていなければならないというのは不安なものだ。
最初、銀時の様子がおかしかった時ですら、私はさして気にも留めずにいた。
一方の銀時も、今まで体調を崩したからといって頼れるものもなく、薬も飲んだことがない様子で、ただただ部屋の隅の行燈の明かりの届かない薄暗い空間でうずくまるばかりであった。
何もかもが手探りなのは旅を始めた時から分かっていたことだったが、道中逗留していた古寺で「近くの戦場跡に鬼が出る」との噂を聞きつけ興味を惹かれいってみればこの有様だ。
(誰かと旅をするつもりなんてなかったんですけどねぇ)
しかし拾ったことを後悔もしていないのだから、面倒を見るしかないだろう。
だが子供というものは、こんなに手のかかるものだっただろうか…。
食事も食べずうずくまる部屋の隅で、とうとう銀時が震え出し、その段になって私はようやく遠い昔の記憶から「この子は体調が悪いのだ」と気が付いた。
気が付いたまでは良かったのだが、私も銀時も互いにこんな時どうしたらいいのか、まったくもって分からないのだった。
「布団敷きましょうか?横になった方がいいですよ」
後になって医師にこっぴどく叱られてしまうことになるのだが、銀時はまだ幼く、風邪でも簡単に悪化してしまうのだそうだ。他にも大人より体力がないから気を付けてやるようにと言われてしまった。この旅は相当、銀時に辛いものであったらしい。
急激な環境の変化に、見知らぬ人込み。幼子の足で私についてくる銀時は、よくよく思い返してみればいつも小走りだった。
それでもなんの疑問も持たなかったのは、かつて自分の後ろをついて回っていた子供も、小走りで私の後についてきていたからだ。
人の歩調に合わせる…なんて考えもしなかった。
いや、多少は歩調を緩めてはいたのだ。置き去りにするわけにはいかないから。
だが配慮が足りなかった。
布団に寝かせた銀時は、一向に良くなる気配がなく、参考になりそうな治療の記憶も私にはない。そもそも私の場合、風邪をひこうが餓死しようが、首と胴体が離れようが死ぬことはなく、周りの者も私の治療などしてくれた試しはない。
「医者」というものの存在は知識で知っていても、自分を実験体のように切り刻んだ男のことしか思い出せず、銀時のために呼んでやろうなどと思いつきもしなかった。
しかし、いくら何でもこれはマズイ…。
私ですら「マズイ」と思えるほど、夜半になり銀時の状態は悪化していた。
そこに至るまで私が何をしていたのかというと、食事を食べ、温泉に入り、この先の目的地への道を店の者に訊ねたり、世間の情勢を同じ旅籠に泊まる者に訊ねてみたり…とまぁ、自由に行動していた。
まさかこんなことになるとは夢にも思わなかったのだ…。
部屋に戻ってみれば、布団の中で銀時は虫の息である。
「ぎんとき?だいじょうぶですか…え、ちょっと、物凄く熱いですよあなた!?」
その時初めて私は銀時に触れ、その熱の高さに思わず手を引っ込めた。
今までの人生でこんなに熱い生き物に触った記憶はない。
(人間って、こんなに熱くなるものなんでしょうか…。まずくないですかコレ)
死んだ人間と、死にかけている人間は冷たいものだが、逆にこうも熱いと不安になってくる。
「みず…しょーよー、みず」
戸惑い枕元で固まる私に、銀時はそのとき初めて私を頼ってきた。それは出会ってから初めて、銀時が私に物を頼んだ瞬間であった。
「わかりました!お水ですねっ」
頼られた嬉しさよりも異常事態に混乱した私は、とにかく銀時の言葉に従い、部屋に常備された急須から冷めた白湯を湯呑へと注ぎ、銀時へと差し出した。しかしこの状態で飲めるわけがない。
顔をリンゴのように真っ赤にした幼子は、熱に浮かされ朦朧とした視線を天井へ向けている。
しかし私はこの時でさえ、頭のどこかで「少しすれば落ち着くだろう」と考えていた。
なにせ銀時だとて幼子とはいえ、幾度も修羅場を乗り越え生きてきたのだ。体調不良など今までの人生でも経験済みだろう。だからこそ、野生動物のように薄暗闇の部屋の隅でうずくまり体調が落ち着くのを待っていたのだ。
とにかく銀時の希望に沿うよう水を飲ませてやろうと、銀時の幼い身体をおっかなびっくり布団から抱き起す。小さな子供の身体に触るのは実際これが初めてで、私はその小ささと頼りなさに驚いていた。
「銀時ってすごく小さいんですね…。しかも物凄く熱いです。本当に熱いです…どうしましょう…」
こんなに小さく頼りないものが熱の塊と化している事実に、私は初めて動揺した。湯呑からでは水が飲めないと判断し、水を求め続ける銀時の口に急須を当て直接飲ませることに成功したときには、私の動揺は焦りへと変っていた。
なにか大変なことが起きている…!
後に判明するのだが、本当に大変なことが起きていた。銀時は「麻疹」にかかっていたのだ。下手をしたら死んでしまうところだったのである。
私があと少し、旅籠の仲居に相談するのが遅れていたら…。
旅籠の仲居が子持ちで、銀時の様子をみて、すぐさま医者を呼んでくれなかったら…。
銀時は死んでいたかもしれないのだ。
医者が到着するまでの間、私は熱にうなされ呻き苦しむ銀時から離れた場所に正座し、じっと銀時を見つめていた。こんなとき、役に立たなくとも幼い手を握りしめ側にいて、濡れた手拭いで額を冷やしてやるのが普通の大人の所業である。だが私はそんなこと知らなかった。誰も教えてくれなかったし、私もそんなことをされた記憶がない。
ただ私はこのとき真剣に考えていた。
(あの子の時のように、私の血を与えれば直ぐにでも良くなる。しかしそうなると銀時が…いや、迷っている場合ではない)
銀時の命が危ない事を仲居から告げられた私は、そんなことを真剣に考えていた。
真夜中にもかかわらず大急ぎで駆け付けてくれた医者は人のよさそうな顔をしていたが、年若い父親の不手際に対する小言は多かった。
もうしわけありません。
以後気を付けます。
大変反省しております。
身に染みるお言葉です。
返す言葉もございません。
医者にしてみれば幼い銀時と私の二人旅だ。親子だと思うのは仕方あるまい。
長旅で疲労が蓄積していること、足に血豆ができていること、栄養状態が少し良くないかもしれないこと、などなど指摘を受け、私は初めて銀時の状態を正しく知ることができた。
実際のところ長旅などではなく、私が逗留していた古寺を出立して三日しか経っていなかったのだが、銀時にとっては人生初の「旅」である。配慮が足りなかったのは言うまでもない。
道中、何度か背後で立ち止まる気配があったが、振り返り確認するたび銀時は口をへの字にして追い付いてきた。きっとあの時、本当は休みたかったのだろう。
そういえば旅の途中、小さな子供が親の背に負ぶわれているのを何度かみた。大抵の子供は眠ってしまっていて、「疲れているのだろう」と微笑ましく眺めていたが…。
疲れている幼子が自分の後ろにもいたわけである。
医師から小言と薬をもらい、「今夜が峠だから、寝ずの番を」と言い渡され、今こうして銀時の隣で人生初の看病というものをしているわけだが…
「子供ってこんなに手のかかるものだったんですね…」
銀時に刀の使い方を教える前に、私の方こそ子供の扱いを学んだ方が身のためだ。
置き去りにしてきた、あの子は、銀時とは5つほど違うくらいだろうか。こんなに手のかかる者ではなかった。もちろん、私の血を受け肉体面で強化されているせいもあるかもしれないが。
そこまで考えて、ふと、あの子を抱き締めたこともなかったのだ、と気が付いた。
寝ずの番の最中、何度も手拭いを水に浸し、小さな額にかかる髪を掻き分けは置いてやった。解熱剤の効果もあったのだろうが、元々の銀時の体力も功を奏したのか、明け方過ぎには熱が下がっていた。
それでもなお、銀時の体温は私の掌より、ほんの少し高く、私は胸が詰まる思いで何も知らずスヤスヤと眠る銀時を抱きあげた。
「子供って、温かいものだったんですね…」
きっとあの子の体温も、銀時のように温かいものだったのだろう。それを歪な形でこの世に留めてしまった。
「子供って…温かい」
噛み締めるように呟いた私の両目から、ホロリ…と涙がこぼれ落ちた。
命とは温かいものだったのだ。
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