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「髪の毛」

旅先で「髪が邪魔だから切っちゃいましょうかねぇ」という松陽に、「ダメだ!」と火がついたように反対する銀時のお話。







久方ぶりに風呂に入り全身の垢を落とし、ようやく人心地ついたのは、最後に旅籠に泊まってから実に一週間ぶりのことであった。
その間、富士の樹海に入り込むわ、人生初のイノシシ狩りに参加するわ、夜盗に遭遇するわ、落ち着く暇がなかった。おまけに野宿の連続である。加えて一度方向を見失い、北へ進路を取ってしまったため、実質前進はしていないという有様だった。

「はぁ~、いいお湯でしたねぇ、銀時」
「はぁー、いいお湯だった」

私の真似をして風呂上がりの脱衣所で「いいお湯だった」を連呼する銀時は、風呂上がりで暑いのか、いつまでたっても宿の浴衣を着ようとしない。かろうじて、これまた私の真似をして腰に巻いていた手拭いが唯一の衣類といった具合だ。

「銀時もそろそろ浴衣を着ないと、湯冷めしますよ」

手早く浴衣に袖を通し、帯を締め終えた私はそのまま髪を乾かす作業へと移行する。
脱衣所に置かれた扇風機が首を振りながら涼しい風を送ってくれるのが嬉しい。長い髪はこういうとき暑くて仕方がないのだ。

「いっそのこと切っちゃいましょうかね…」

髪を横へ流しながら手拭いでパンパン…と髪を挟むように水気を吸い取っていると、自分でも知らない間に伸びた髪が目に入り、何気なく呟いた。
最後に髪を切ったのは果たしていつのことだったか…。そんなことを考えていると、いつのまにか銀時が固まっているではないか。

「どうしたんです?」
「松陽、髪切るのか?」

子供用より更に小さな幼児用の浴衣に右腕を突っ込んだ状態で固まったまま私を見上げる銀時の顔はいつになく深刻そうだ。だから私も、深刻な顔を作り「そうです。髪を切るんですよ」と返してみた。
するとどうだろう、右腕に浴衣をひっかけ、腰に手拭いを巻いた銀時が「ダメだ!止めた方がいい!絶対やめた方がいいと、オレは思う!」とワタワタしながら私に訴えてくるではないか。

これにはもう笑わざるを得ない。

だがここで笑うと私の経験上、銀時がヘソを曲げるので笑うのは我慢して、なおも続いている銀時の説得に耳を傾けることにした。傾けることにしたわけだが、この直後、銀時が叫ぶように吐き出した最後の言葉で、私のニヤニヤも引っこんでしまった。

「だってせっかく綺麗なのに!もったいない!」
「…もしかして銀時は、私の髪、気に入ってるんですか?」
「うん」

いやぁ…たまに臆面もなく素直になる、この切り替えの早さはなんなんでしょうねぇ。
子供ってホント面白い。

「そうですか~、私の髪、気に入ってたんですか~。ちょっと照れますね~」

どうりでたまに銀時が意味もなく私のことを見ているわけである。
そういえばあの子も私の髪をよく眺めていたような気がする。そこで思い至った一つの結論。

「天パはストレートに憧れるものなのですかねぇ…」

あの子より、もふもふの髪に手を伸ばし撫でながら呟けば「天パってなに?」と不思議そうに聞いてくる銀時。
どうやら銀時の人生に今まで「天パ」という言葉は存在しなかったらしい。
新しく耳にした言葉。しかも自分に関係する言葉とあって、銀時が重ねて訊ねてくる。

「天パってなんだよ、おしえろよ」
「はいはい、いま教えますよ。
天パとは天然パーマの略で、パーマをあてない自然な状態で頭髪全体が縮毛しているものや、癖毛のことをいうんです。つまり、銀時の髪ですね」

私の言葉に銀時は自分の頭に両手を持っていき、確かめるように触っている。
これは…マズイことをしただろうか…。
思えばあの子も自分の髪を気にしていたような節があった…ような気がしてきた。

「松陽とオレの髪、全然違う…」

銀時の呟きに、私はその段になってようやく銀時が「鏡」とは無縁の生活を送っていたことに思い至る。昔と違い今ではそこら中に鏡が溢れているわけだが、だからといって戦場にまで鏡があるはずもない。自分の姿を客観的に認識する機会などないままに銀時は成長したのだろう。

驚愕と絶望が入り混じった表情を浮かべる銀時と視線を合わせるように屈み込み、私は銀時へ嘘偽りのない言葉をかけた。

「銀時は自分の髪が嫌いですか?私は好きですよ、鳥の巣みたいで可愛いですから」
「鳥の巣…」

「そうです、可愛いでしょ?それにこの髪はとても便利なんですよ?」
「便利…?」

「あなたの髪って、お天気パロメーターでもあるんですよ」
「??なんでイキナリ天気の話になるんだよ。オレは髪の毛の話を…」

「そのうちあなたにも分かるようになりますよ。ふふ…」

幼い銀時は何が何やら分からないような顔をしている。
雨の日に銀時が憂鬱そうな顔を浮かべるのは、まだ当分先のことのようだ。

「さ、早く浴衣を着てください。今度こそ本当に風邪ひいちゃいますよ」


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